個人的な話

【エッそうなの!?】豊田家→トヨタ自動車→豊田市

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こんにちは、きくちはらです。

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豊田家?豊田市?

日本を代表する世界的メーカのトヨタ自動車。社長は創業家の豊田(とよだ)章男氏。そして、本社所在地は、愛知県豊田市(とよたし)トヨタ町1番地。トヨタ自動車の由来は創業家である「豊田家」からきているのか、それとも本社がある「豊田市」からきているのか?さっそくWikipediaで豊田市を調べてみると、驚きの事実が判明した。

本社が位置する豊田市は、奈良時代から約1,300年間「挙母(ころも、挙母市)」と称された地名を1959年に「豊田(豊田市)」へ改称することを市議会で決議し、本社所在地の表示が「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変更された。日本の企業城下町で市名に企業名が採られた稀な事例である。

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名称[編集]

市名の「豊田(とよた)」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来する。豊田姓は遠江国豊田郡(現静岡県磐田市北西部や、静岡県浜松市天竜区南部付近)に由来すると思われる[注釈 1]

豊田喜一郎[注釈 2]が会社を創業する際、工場の建設地を挙母市にするか、大府市にするか、もしくは碧南市にするかで大いに迷っていた。しかし当時の挙母市はまだそれほど発展しておらず、他の2市に比べ格段に安い土地価格が地元から提示されたため、現在地に会社を建てることを決めたという。

市制を敷いた当初は、「挙母市」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があって愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。

同じように自動車産業が盛んな鈴鹿市の場合は別で、本田技研工業鈴鹿製作所の建設当時、市側が本田技研工業に対し「本田市」へ市名を変更する意向があることを伝えたが、古来より伝統ある市の名前を一企業の名前に変更すべきではないという創業者本田宗一郎の考えに則って、本田技研工業側が丁重に断ったという逸話がある。

なお、日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市と宗教都市である奈良県天理市のみである。

ただし、市名こそ豊田市と変わったものの、「挙母」の名は市内町名の”挙母町”と”上挙母”、施設ではトヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」の豊田市所在のディーラー「レクサス挙母」、愛知環状鉄道線「新上挙母駅」、「挙母神社」、「挙母小学校」、挙母城(七州城)、名鉄三河線「上挙母駅」など、挙母地区に残っている。また市章も、挙母市時代に制定したものを現在も使用している。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%B8%82

なんとトヨタ自動車のおかげで「自動車の町」になったから、挙母市から豊田市へと変更したようです。トヨタ→豊田市(とよたし)の繋がりはわかった。となると、残るは「豊田家」となる。そこで見つけたのがこんな記事

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トヨタ自動車はなぜトヨ「ダ」自動車ではないのか

投信1 / 2018年5月15日 10時10分

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トヨタ自動車はなぜトヨ「ダ」自動車ではないのか

知ると株式投資が楽しくなる「企業トリビア」

日本を代表する、いや、世界を代表する自動車メーカーであるトヨタ自動車。2018年5月9日に発表した決算でも営業利益が2.4兆円に迫るなど、業績も絶好調です。今回はそのトヨタについて見ていきましょう。

トヨタ自動車の足元の業績は絶好調

トヨタ自動車の2018年3月期の連結販売台数は896.4万台と、2017年3月期対比では7000台減少しましたが、引き続き世界でも非常に大きな存在感を示しています。グループ総販売台数(小売ベース)は1044万台でした。

同社の2018年3月期の決算は、売上高29兆3795億円、営業利益2兆3999億円と、売上高と利益に「兆」が並びます。ちなみに、時価総額も約24兆円(2018年5月14日時点)と、こちらにも「兆」が並んでいます。

トヨタ自動車のトップが抱く危機意識

トヨタ自動車の豊田章男社長は今回の決算説明会のプレゼンテーション中で、トヨタ自動車はこれまでの「自動車をつくる会社」から「モビリティ・カンパニー」に変えていくと発言しています。

プレゼンテーションの中では「モデルチェンジする」という言葉を使っていますが、同社のビジネスモデルや事業領域が大きく変わるのですから、一般的に言われる”モデルチェンジ”どころの話ではありません。

事業領域を変えるのなら「シフト」という言葉が合いそうなものです。ただ、競合メーカーの広告で同様の言葉が使われてきたので、あえて「モデルチェンジ」という言葉を使ったのかもしれません。

トヨタ自動車はなぜトヨタ自動車なのか

トヨタ自動車のトップは豊田章男氏です。章男氏がトヨタファミリーの一員であることは有名ですが、その豊田という姓は「とよだ」と読みます。「とよた」ではないのです。

では、なぜトヨタ自動車はトヨダ自動車ではないのでしょうか。実は初期の自動車のエンブレムには「TOYODA」と記されていましたが、それが変更されたのには3つの理由がありました。

同社ホームページには以下のように記されています。

「トヨダ」よりも「トヨタ」のほうが、濁音がなく、さわやかで言葉の調子もいいこと。そして日本語で「トヨタ」と書いた場合、総画数が縁起がいいとされる「8画」になること。さらに創業者の苗字である「トヨダ」から離れることで、個人の会社から社会的企業へと発展するという意味も込められていました。

 

このように、一つは発音と聞いた時の響きという点。もう一つは画数。そして、名前に込められた会社の拡張性が背景にあることが分かります。トヨタ自動車の発展の歴史の中で、こうした細部へのこだわりも見逃せません。

豊田社長は、現状を「100年に一度の大チャンス」として捉えています。次の100年を同社がどのように切り開いていくのかに注目です。

参考:トヨタ自動車ホームーページ:「トヨダ」から「トヨタ」へ(http://www.toyota.co.jp/jpn/auto/emblem/history/)

引用元:https://news.infoseek.co.jp/article/toushin1_6004/

トヨタの昔のエンブレム

というわけで、上記URLを訪問すると、「トヨダ」から「トヨタ」へと変更した経緯や、「豊田エンブレム」などを見ることができます。

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「トヨダ」から「トヨタ」へ

トヨタ自動車の「トヨタ」は、創業者豊田佐吉の苗字、「豊田(トヨダ)」に由来します。じつは、初期の乗用車に添えられたエンブレムは、漢字の読みをそのままローマ字で表記した「TOYODA」でした。しかし、この会社名であり、かつブランド名であった「トヨダ」は、1936年に行われた「トヨダ・マーク」の懸賞募集を経て「トヨタ」へと変わることになります。

この変更の理由は、まず「トヨダ」よりも「トヨタ」のほうが、濁音がなく、さわやかで言葉の調子もいいこと。そして日本語で「トヨタ」と書いた場合、総画数が縁起がいいとされる「8画」になること。さらに創業者の苗字である「トヨダ」から離れることで、個人の会社から社会的企業へと発展するという意味も込められていました。

引用元:http://www.toyota.co.jp/jp/kids/faq/f/01/02/

トヨ「ダ」論争まとめ

というわけで、まず

豊田(とよだ)家

「豊田(とよだ)自動織機製作所」創業

「豊田(とよだ)自動織機製作所自動車部」設置

エンブレムは「TOYODA」

新トヨダマークの公募で選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマーク

理由は先ほどの3つ。エンブレムは「TOYOTA」へ

その翌年自動車部門独立時「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に

はい、これでスッキリしました。

 

 

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