経営数字の話

3倍稼がなければいけない理由

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、きくちはらです

あなたの業界を思い浮かべた時

市場のボリュームは多いが

安いものを求めるお客様と

ボリュームは少ないが

高品質のものを求めるお客様

あるいはその中間があると思います

このような市場のピラミッドのうち

あなたはどの市場を

ターゲットにしますか?

なぜ、その市場なのですか?

あえてボリュームの少ない方へ進み

ラグジュアリーブランドとなった

「スノーピーク」

の事例を見てみましょう

 

 

 

「ダサい社長」が日本をつぶす!

ラグジュアリーなキャンプギアの開発と経営危機

スノーピーク、登山家の父から受け継いだ二代目社長(山井太さん 第1回)

川島 蓉子

川島 蓉子

ifs未来研究所所長

ファッションという視点から、さまざまな分野の企業のブランド作りなどのプロジェクトにかかわる。日経MJ、ブレーン、読売新聞などで連載を持つ。2013年から現職。多摩美術大学非常勤講師。Gマーク審査委員。

2018年1月29日(月)

新潟県燕三条を拠点に、アウトドアを軸としたライフスタイル提案をしているスノーピークの代表取締役社長を務める山井太さんとは、同郷ということもあって、長いご縁を得てきた。本社社屋の建築物の斬新さ、展開されているアウトドア用品やアパレルのかっこよさに加え、ここ数年は、ラグジュアリーな「グランピング」や、建築家の隈研吾さんと作った「モバイルハウス“住箱”」が脚光を浴びている。

山井さんは、大柄で豪放磊落、圧倒的なワンマン経営者に見えて、実はそうでもない――自分の志や夢を語り始めると止まらなくなる。が、話の端々に、気後れやはにかみが見え隠れしている。雪国で生まれ育った性分からか、一度決めたら、辛抱強く思いを遂げようと努めるが、少しだけ引っ込み思案――新潟県民らしさに共感を覚える。 山井さんの、そしてスノーピークのかっこよさの源はどこにあるのか。新潟という地方でユニークなブランドを作り上げ、世界に向けて発信している理由などなど、改めて話を聞いた。

スノーピーク 代表取締役社長 山井太さん
1959年、新潟県三条市生まれ。明治大学を卒業後、外資系商社に勤務。86年、父が創業したヤマコウ(現スノーピーク)に入社する。アウトドア用品の開発に携わり、新規事業としてキャンプ用品を開発し、現在のオートキャンプシーンを創り上げる。96年に社長に就任し、社名を「スノーピーク」に変更。自身が毎年30~60泊をキャンプで過ごすというアウトドア愛好家として知られる。(写真=鈴木愛子、以下同)

川島:山井さんは、まるで創業者のように頑強な志の持ち主ですが、実は二代目。家業を継がれたのですよね。

山井:そうです。スノーピークは1958年、登山家だった父が、金物問屋として創業したのです。その後、父は「本当に欲しいものを自分でつくる」という思いのもと、新潟県燕三条に根づいてきた高度な技術を活かしながら、仮説と検証を繰り返し、使いやすくてクオリティの高い登山用品を作って売っていたのです。その後、釣り用品も手がけるようになり、割合と手広くやっていました。

川島:スノーピークのルーツは登山用品だったのですね。それで山井さん、創業社長の長男として生まれ、小さい頃から、いつかは継ぐと思っていたのですか?

山井:何となく、そういうことになっていました(笑)

大学卒業時に父からは何も言われなかったので、外資系商社のリーベルマンウェルシュリーに就職したのです。欧米のラグジュアリーブランドを日本市場で展開する仕事は、すごく楽しかったです。

本当は商社勤務を辞めたくなかった

川島:もしかして、辞めたくなかったのでは?

山井:そうですね。でも、ラグジュアリーなキャンプを提案したいと考え、スノーピークに入社して新規事業をやらせてくれと言って、オートキャンプ用品をスタートし、それが倍々ゲームのように伸びていったのです。

川島:まさに、「当たった」わけですね。1988年頃と言えば、バブル景気で新しいモノやコトがもてはやされていた時代です。スキーやアウトドアなど、さまざまなリゾート開発が日本各地で行われてもいたし、オートキャンプも脚光を浴びていました。でも、当時のリゾートレジャーの中では、まださほど、「かっこいい存在」ではなかったかと。

山井:そうです。安くてお手軽なレジャーのひとつといった位置づけでした。ただ僕は、オートキャンプというものを、そうではないレベル、もっとかっこいいレベルに持っていきたい、持っていけると考えたのです。

川島:だからスノーピークは、かっこいいんですね。つまり、山井さんが、かっこいいを大事にしてきたと。

山井:僕自身、昔から、かっこいいものが好きというか、美しいものが好きだったのです。だから、自分が手がける仕事についても、かっこいいもの、美しいものにしたいという考えは、ごく自然にあったと思います。

道は2つ。どちらに向かうか、迷った

川島:オートキャンプ用品は、ブームに乗って、どんどん売れていったのですね。

山井:市場をピラミッドにたとえて、裾野の広い方に向うか、狭い方に向うか、2つにひとつと思ったのです。でもやっぱり、本当の意味でスノーピークがブランド化していくためには、自分たちの価値を上げる方向、つまり狭い方に向かうべきと考え、そちらに舵を切ることにしました。まず徹底的に品質を上げ、「永久保証の価値」を訴えることにしたのです。そして、「ラグジュアリーでハイエンドなキャンプ用品」を作ろうと考えました。

川島:「ラグジュアリーでハイエンドなキャンプ用品」は、当時、ほとんどなかったわけですが、どうやって作ったのですか。

山井:今までになかったものを作るということです。たとえば、16万8000円もするテントもそのひとつ。「テントは一日遊んで疲れた身体を休息させる、快適で豊かな気分になるベッドルームでなければならない」と考え、雨や風を受ける屋根であるフライシート、心地いい空間をつくるインナーテントのウォール、地面と接する部分のボトムなど、すべてのパーツについて、生地の種類、厚さや織り方、構造を考え抜いて作ったのです。

川島:そんなに高い製品、売れたのですか。

山井:それが初年度で100個くらい売れて、僕自身も驚きました。日本にもそういうマーケットがあったのだと。

~以下略

引用元:https://newspicks.com/news/2782704/

 

 

 

僕は以前の記事で

ニトリの会長による

2018年経済予測という記事を書いた

 

 

 

似鳥会長の予測をまとめると

まだまだデフレは続き

よって給料も上がらない

そういう予測だった

 

 

 

予測は当たるかもしれないし

ハズれるかもしれない

でも、確実に言えるのは

それでは困る

ということ

 

 

 

なぜかといえば

少子高齢化によって

決まっている未来があるから

 

 

 

2010年ごろは労働者3人で

1人の高齢者を支えていたが

現在は2人で1人を支え

いずれ1人が1人を支える時が来る

 

 

 

このような決まっている未来があって

それでもお給料が上がらないと

とっても困るよね?

若者は引きこもってる場合じゃない

 

 

 

3人で1人が

1人で1人になるってことは

3倍稼がなくちゃいけない

3倍稼ぐには

A.3倍長く働く

B.生産性を3倍にする

 

 

 

よし!3倍長く働こう!

 

 

 

今が1日8時間だから

これからは24時間労働だ!

 

 

 

って、できるかぁッ!!

 

 

 

じゃぁ、生産性を3倍にするしかない

生産性を3倍にするには

A.客数を3倍にする

B.客単価を3倍にする

 

 

 

よし!客数を3倍にするぞ!!

 

 

 

今が1日100人だから

3倍の300人だ!!

 

 

 

やっぱ24時間労働じゃん!!

 

 

 

残された道は

客単価を上げる事

 

 

 

少々高くてもあなたから買いたい

と言ってもらう事

あなたしか提供できないものを売る事

お友達に紹介したくなるような

商売をする事

何度も何度も買ってもらう事

 

 

 

そんな骨太のビジネスにして

次の世代に渡すこと

それしかないじゃない?

 

お友達も募集中!

アクシュ( ´ー`)⊃⊂(´ー` )アクシュ

友だち追加

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*